それは、よく晴れた日の出来事…
同じ中学を卒業し、別々の高校に進学した二人は
共通の友人宅にて偶然にも再会する事になる。
当時、先輩のバンドでサポート的に参加はするものの
いまいちしっくり来ていない、ボーカルのユメノ
さっさとバンド活動を始めたいのだが、中々その気にさせる
ボーカルが見付からない、ギターのユウキ
そんな二人から巻き起こる、小さな田舎町から始まる
大き過ぎた夢に向かうトンでもストーリー
音楽業界に翻弄されながらも、必死に食らい付いて行く
その姿…あなたも彼らの足跡の承認になって下さい。
さぁ、それでは物語の始まりです。
新潟県三条市と言う小さな田舎町で、中学校時代に同級生だった、ボーカルYUMENOとギターYU-KIが偶然の再会によりBAND活動を始める。
コピーBANDから初めるが、すぐに市内のホールを満員にしてしまう。
そして、新潟市内に拠点を移し、1994年にはプロダクションを立ち上げ、自主制作にて1stフルアルバムを全国流通にてリリースをする。
その後は、都内を中心に県外へと活動の場を広げて行く。
ここで、より本格的な活動に対して、実力不足を感じていた
二代目ベーシストが脱退、三代目ベーシストとしてNIIKIEを迎える。
1996年にはTOY'S FACTORYより当時メジャーデビューの登竜門であったオムニバスアルバム
「Emergency express 1996」に「SPARK!!」で参加する。
そして、アルバム発売から4ヵ月後には、某プロダクションよりデビュー契約の話が舞い込む。
やっとの思いで掴みかけ、念願のメジャーデビューと思った矢先、
契約の直前3日前に事件は起きる、ドラムのTETSUYAが交通事故で突然他界してしまう………
張り裂けそうな日々が続き
今でも、この時の時間感覚がハッキリとしていない…
衝撃と絶望感を味わう。
その後、ドラムにYAMAKA JUNJIを迎えて上京を果たし、拠点を東京へと移すこととなる。
1998年には当時「ESP」グループのインディーズレーベル「ALINNOS RECORDS」より
ミニアルバム「LOW FAT RIDER」をリリースし、新宿LOFTではワンマンライブも行う。
発売キャンペーンのツアーも決まり
いよいよ、俺達の時代がやって来たかと、思うのもつかの間…
今度はベースのNIIKIEが原因不明の熱病に倒れ、ツアーは中止になってしまう。
実はこの時に、今は敏腕マネージャーとして、その手腕を振るう
我らがマーティンが、サポートベースとして緊急参加してくれ
なんとか、スケジュールをこなしていた事もあった。
1999年、不運続きではあったが、ギターYU-KIにはサポートギタリストとしての依頼が舞い込むようになり、BAND活動が停滞する中、なんとか突破口を見付けるべく、精力的に活動を続けるのだが…
やはり、上手くはいかない様で、田舎の母が難病指定の病にかかり、余命宣告を受けてしまう。
亡きメンバーへの想いと、母に迫る死との間に挟まれて、辛く苦しい日々が続くが、メンバーを残してひとり、田舎に帰る事を選んでしまう。
この時が2000年である。
こうして、事実上の活動休止となり、パズルはバラバラに引き裂かれてしまう…
それから、16年の月日が流れ
2016年、突然ベースNIIKIEからギターYU-KIに電話が入る
「2018年には、アルバムLOW FAT RIDERが発売されてから20年になるから、記念ライブを演らないかい?」との話し…
この一本の電話をきっかけに、16年振りにメンバーが再会する事になる。
オリジナルメンバーでの再始動を計画していたが、ドラムのYAMAKAは連絡が取れず
アルバム「LOW FAT RIDER」のレコーディングにも、ドラムチューナーとして参加してもらった、的場誠也氏に新メンバーとして加入してもらう。
2018年2月、新潟市内のライブハウスにて、十数年ぶりのライブを行う。
そして今年の9月2日には、TETSUYAのメモリアルライブイベントも決定しています。
さらに…10月に行われるアノBIGイベントにも参加エントリー中です
乞うご期待…
残念ながら、こちらのイベントへの出演は中止となりました。
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